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略歴

<2006年の春から2010年の春までの4年間放浪の旅にでる>

バックパック一つ背負い向かった先は、旅人の聖地と称されるタイのバンコクからだった。
初めての一人旅は出発前夜はとても緊張し怖かったのを覚えている。
そこから東南アジアを回った。想像を絶する悪路や、貧しい人々、物乞いなどに戸惑う。その後中国、チベット、ネパール、インドと半年かけて進んだ。

旅の最初の思い出はインドのカルカッタだ。この時期に集まった旅人たちと仲良くなり、マザーハウスの家でボランティアしたり、毎日のように安宿の屋上で騒ぎ、語り合った。マラリアになり入院したのもここだ。
その後パキスタンを経由して中央アジアへと入った。ここからシルクロードを伝ってトルコを目指す。キルギスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、グルジアと駆け抜ける。イスタンブールへと辿り着いたのは、日本を出てから十ヵ月後のことだった。
その後ロンドンへと飛んだ。友達がいたので会いに向かったのだ。初めてのイギリスは物価の高さに驚いた。当時の為替通貨が1ポンド=250円もした。
すぐにフランスへと向かった。パリ観光し友達とは別れ僕は再びトルコを目指した。物価の安いところへ行きたかった。ユーロも高く1ユーロ170円した。そうしてイタリアのローマにやって来た時に、ついにお金が尽きてしまった。このときの残高はわずか1000円だった。
しばらくここで住み働くことを決意し、そして、運命の出会いをする。現地で20年やっているという小さな旅行会社を経営する日本人の社長さんと出会った。異国の地で長年一人でやってきた彼は人情味に溢れていた。しばらく住み込みで働かせてもらえることになった。しかしその後突然、社長が倒れた。一週間の昏睡状態の末に帰らぬ人となった。小さな会社は大混乱に陥った。僕は社長への恩義のためにも落ち着くまではしばらくいようと決意したのだった。

そうして六ヵ月の月日が流れた。様々な思いを胸にローマを出ることにした。その後は東欧を通りトルコを目指した。次はアフリカへ行くのだ。その途中次なる運命の出会いをした。その男、雄生とは最初、彼が港で野宿しているところを僕が目撃したところから始まった。彼は野宿、ヒッチハイク、大道芸をしながら旅をしていた。カナダ国籍の日系カナダ人だそうだ。その存在の全てが衝撃的で、僕はすぐに彼に興味を持ち、仲良くなった。そしてアフリカへ一緒に行くこととなった。
ちょうどこの時期祖父が亡くなり一時帰国する。
スペインの首都マドリッドで再会した僕らは、モロッコからアフリカへと入った。予てよりの計画、アフリカ大陸を車で縦断したいというものがあったが、車が買えずに失敗。滞在VISAがなければ車は買えないらしい。
普通に旅をする事にした。インドで出会った望という女性も加わり三人パーティーでのアフリカ冒険が始まったのだった。
様々な事が起こり、西アフリカのオアシス・ガーナに辿り着いた時、現地の人たちと仲良くなった。ガーナでは誰でも車を買えるという情報を得て、そして本当に車が買えたのだった。
しかし、名義変更するのに三ヶ月間もの時間がかかり、その間に現地の友達とファミリーとまで呼び合う繋がりを持つ。望が帰り、今度はまさえという女性が加わった。車でガーナ各地を周り、子供と触れ合う。ジャグリングショーをする、ジェンベと運命の出会いをする、ガーナ人の彼女が出来るなど様々な体験、人生の大きな転機・ターニングポイントを迎える。

その後車は壊れ、アフリカの旅はガーナまでとなる。再びヨーロッパに戻り、雄生はアムステルダムに住み、僕はそこを拠点にヨーロッパをヒッチハイクで周る旅に出る。ジャグリングとバルーン、ジェンベを持ち、野宿と大道芸、自分自身への挑戦の旅だった。
達成感や幸福感と同時に、挫折や失敗も積み重ね大きく成長する。自分自身を信じる一つの大きな信念が出来上がる。
旧友の結婚式を機に再び日本へ一時帰国。同時に三ヶ月滞在し、日本をヒッチハイクで旅する。埼玉〜熊本まで往復。

その後ヨーロッパへ戻ると、旅の4年目であり最後の年、目的地はイタリアのローマへと再び向かった。ここに再び住もうと思ったのだ。自分がアフリカからの旅でどう変わったのか、昔いたこの場所に戻ればその違いが分かると思ったからだ。いわば、人生大学の卒業試験だ。
以前の滞在では、仕事以外に友達はいなかったし、いつも一人で過ごしていた。言葉も覚えなかったし、文化や伝統にも全く触れようともしなかった。それでは生きている楽しみを半分以上捨てているようなものだと思い、やり直そうと思ったのだ。
そして今回は行く前に三つの目標を立てた。「言葉を覚えること」「家族と呼べる仲間を作ること」「イタリア人の彼女を作ること」だ。
あの時の社長との出会いから数年、イタリアは僕にとって運命の出会いとなったのだった。

最後に再びアフリカへと向かった。ジェンベマスターになるという夢を追って帰国前に本場で三ヶ月間みっちりと学ぶことにした。ギニアという国で、現地の家族にホームステイさせてもらった。文化の違いにものすごく戸惑い、この国は世界の最貧国の一つでもあり、この体験はものすごく貴重なものだった。しかし、ひたすら耐えた三ヶ月だった。

最後に、旅に出る前に留学していたアメリカのマイアミに寄って、その後雄生の住んでいるカナダのバンクーバーに寄って、そして2010年春無事日本へと帰国したのであった。

もともと父親に大学へ行きたいかときかれ、しかし学びたいことがなかったので、ならば見聞を広げ成長したかったので世界を旅したいと言ったのがきっかけだった。
当初は丸々4年も旅する気ではなかったのだが、いざ旅に出ると、世界を周るのに1年や2年じゃ足りなく、与えられた時間である4年間をかけて本当の大学と同じようにきっちりと行って学ばさせてもらうこととなった。
自分自身でこの旅を人生大学と呼ぶようになっていったのは旅の後半あたりからで、その頃になってようやく旅をする目的が見えてきたのだった。それまでの旅の前半は、云わば放浪だった。自分を探していたのだ。
目的がなく旅することを放浪と呼ぶと思う。旅とは、目的があって初めて旅となるのだと思う。目的や目標がある旅ほど多くのことを学べ、成長できるものはないだろう。









足跡

<旅の前半 2006年3月〜2008年9月>
<旅の後半 2008年9月〜2010年3月>

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